2013年1月5日土曜日

脱石油と世界平和

日本の政治家は、脱原発ばかりを叫ぶ。

真に世界のリーダたるを目指すのであれば、短期的感情をもって脱原発を声高に叫ぶのではなく、「脱石油の為のテクノロジー開発こそが、このテロが蔓延し、領土への野心をあらわとする世の中を変え得るのだ」と、心静かに訴えるベキである。 

だいたい、脱原発という話には論点が2つ飛躍している。

 大震災=>原発炉心溶融=>放射能汚染=>・・・=> ・・・・ =>脱原発

 つまり、放射能汚染が発生しないために何が必要となるのか、そしてその解答が脱原発で正解なのか、ということがまったく論じられていないのである。

 脱原発を唱える政治家から、その論理を聞くことはない。ただ単に不安に対するバズワードとして脱原発があるだけだ。脱原発の目的がないのだ。

原発をなくせば、原発の炉心溶融が無くなるのか? 

まぁ、無くなるんだろうが、それは原発がなくなるのであって、炉心溶融を無くすための手段ではない。

脱原発を発言をする政治家ってのは本当に信用できない。

あるべきは新型原発の開発であって、原発廃止自身を目的としてはならない。

 何故ならば、世界の多くの問題がエネルギー、すなわち石油の利権と、オイルマネーの還流を起源としているからである。


 現在、世界が抱える問題は大きく2つある。

 一つは、冷戦崩壊を起点としたグローバルな自由主義経済の登場により、世界レベルでの労働賃金の平準化が進み、付加価値を生み出すことができない働き手の賃金は低下し、所得の格差が拡大していることがある。 

もうひとつは、世界人口の拡大と、上記を契機とした第三世界の多くの人口の所得の向上に伴い、食料、そしてエネルギーをはじめとした資源が不足することがある。


 前者については今回は掘り下げないが、後者については、そのなかでもエネルギーについて、さらに石油については、オイルサンドやシェールオイルの開発があるというものの、オイルピークがすぎつつあるのが明らかであり、現在のエネルギー消費のあり方を変えない限り、全世界での奪い合いが発生する。

実際中国資本は、まだ未開発のアフリカに手を伸ばし、その開発を進めている。さらに石油だけではなく、ガスも含めた資源開発こそが、中国の太平洋への欲望を後押しし、これまでにない国境問題を発生させている。

 また国対国の紛争だけではない。非対称な戦いであるテロについても、この石油がからんでいる。それは石油利権の確保を目的とした先進国の開発をよしとしないグループが、皮肉なことに、その石油にからみ流入するオイルマネーをもとに、テロ活動を先導しているということが問題である。 

多くの世界での紛争が、石油への欲望とそれを取り巻くオイルマネーを起点としており、さらにオイルピークの到達から、その紛争が悪化することが問題なのである。


 したがって、その石油に変るエネルギー資源の開発が、世界人類にとってもっとも優先的に取り組むべき課題であって、脱原発などの短絡的イデオロギーの流布など、もっての他といわざるを得ない。

 そのような政治家を信用することはできず、そしてそのような政治家が世界のリーダとなり得ることはなく、そして日本のリーダーとしてもふさわしくはないのである。

 日本のリーダが誰になろうとも、世界の活動の潮流は、脱石油を中心としたテクノロジー開発であり、食料問題を解決する水供給の問題であり、経済格差と、これら問題を解決するイノベーションと生産性向上問題なのであって、21世紀はそれを中心とした経済となっていくことは明らかである。 

そして、よくスマートグリッドをバズワードとして流布するものもいるが、その目的が脱石油経済であることは、そのバズワードを叫ぶものが、ただ単に言葉をばらまいているのか、真にあるべき活動を目指しているのか、有意な活動をもたらすリーダなのかを識別する重要な試金石となるのだ。