2015年8月16日日曜日

ポスト資本主義、来るべき「個の時代」に向けた制約

ボール盤での製造にタッチしてみると「第二次産業」、「産業革命」とは何か、何だったのかが見えて来る。

一般には産業革命とは、蒸気機関だとか工業の隆盛だとか、第二次産業の芽生えだとかいうけれども、結局のところ「精密加工」だと考える。

槍や刀といったものもある意味では「精密」だったかもしれないが、精密な部品を組み上げ、複雑な「システム」を組み上げるものが「精密加工」だ。その一端に触れると、それが難易度の非常に高いものであることが実感できる。

さらにそれが進歩すると、ケミカルとの融合や、さらには遺伝子操作といった微細な世界に行き着くが、さらに「情報技術」と融合するならば、それはロボティクスであり、自動生産システムであり、機械生命体へと向かっていくのだろう。


今回はそこまで触れないが、これらの「精密加工」「情報技術」が、組織から個人のものとなる部分をうまくすくい取って、果実を得なくてはいけない。

ただし、その妨げとなっているのが「流通」だ。何故なら、素材を個人に運ぶ部分の生産性の悪さが「大量生産での製造価値並み」だからだ。

「システムの価値」=(「素材」+「流通」+「精密加工」+「情報技術」)*生産性

というのが方程式だが、個人で調達する場合に、この生産性指標が効いてきてしまう。個人での「素材」、「流通」の生産性の悪さから個人での「素材」の購入価格が、大量生産で「素材」「流通」の低減された価格よりかなり高額となっているのが現状だ。そんため、

「大量生産システムの価値」=「素材」+「流通」(個人での「素材」調達)

となってしまうのが現状だ。

「情報技術」や「情報技術を用いた精密加工」が個人のもとにやってきていたとしても、「流通」の効率化なしに、大半のシステムを個人が生産する時代はやってこない。


「精密加工」のための投資とノウハウが必要なことには変わりないが、それを獲得した「個人」が一部で「個の時代」を作ろうとしている。しかしそのためには「流通」の効率化が不可欠だろう。

「流通」の効率化のためには、個人による「素材」の調達の活発化が必要となる。一部で素材の切り売りが始まり、その予兆はあるが、「精密加工」のためのノウハウの一般化を含め、まだこれからだが、確実に時代は始まっている。